田中太山の経歴や病気は?書道の仕事はノリで始めた!?【グッと!地球便】

こんにちは!アザミです。

「グッと!地球便」は日本の家族から海

外の家族に贈り物を届ける番組。

遠く離れて暮らす家族の想いと一緒に届

けます。

今回は、アメリカのニューヨークで書道

家として活躍している田中太山さんが登

場!

今回は田中太山さんの経歴や病気は?

書道の仕事はノリで始めた!?

ということをまとめています。

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田中太山の経歴は?

書画家:田中太山 - ホーム | Facebook

アメリカ・ニューヨークで、墨と筆を使

って文字を絵のように描く「笑文字(え

もじ)」というアートを手掛ける田中太山

さん。

「笑顔」をテーマに作品を作る田中太山

さんの根幹には、「毎日笑っていればい

いことがある」という小さい頃からの母

の教えがあったそう。

そんな田中太山さんは書道も絵も習った

ことはなく、すべてを独学で勉強してき

んです。

21歳でプロを目指すようになり、似顔

絵を描きながら日本全国を放浪します。

試行錯誤の末、現在の形にたどり着いた

田中太山さん。

26歳で銀座に自分の画廊を持ち全国各

地で個展を開くまでに。

しかし35歳の時、このままでは余命1年との

宣告が…。

予期せぬ病気をきっかけに人生観が変わった

田中太山さんは、売れっ子の地位を捨て、

あえて自分のことを誰も知らないアートの

本場・ニューヨークで挑戦することを

決意。

最初は仕事がなく辛い時期もあったという

田中太山さん。しかし徐々に依頼が増え始め、

大きな仕事も依頼されるようになります。

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田中太山の病気は?

余命1年と宣告された田中太山さんの

病気とは一体なんだったのでしょうか?

35歳の時に体調不良を感じた田中太山

さん。

病院に行くと糖尿病だと診断されます。

その糖尿病は、悪い人のさらに倍悪い

状態だったらしく、年内に死ぬと言わ

れたと言います(>_<)

糖尿病で特に症状が重くなると、末端神

経が死に、目や手先が使えなくなるんだ

そう。

仕事ができなくなると思った田中太山さんは、

30キロ痩せて、インスリン注射や飲み薬

などの治療を行ったそう。

1年かけて注射も薬もいらない状態で生活で

きるようになります。

しかし、いつ再発するかどうか分からな

いそうで、現在もいつ死んでもいいやと

いう気持ちで生きているそうです。

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実は書道の仕事はノリで始めた⁉

19~21歳まで飲食店で働いていた田中太山さん。

その頃は若かったのでお金がなくて、看板とか

メニューとかも自分で書いてたそう。

するとお客さんに、こういうものを仕事に

してやってみたらどう?って言われて、

最初は単なる軽いノリで始めたんだそう。

当時は書は書いてなくて、もともと絵を

描くことが好きだったので絵から始めます。

そして、好きなことで食べていくと決意し、

店を辞めることに。

しかし作品を飾ってくれそうなところに

売り込みにいきますが、全然売れず。

路上アーティストとして活動すると

同時に、TV局や雑誌とかに自分の資料を

送っていると、その当時有名なゴールデン

枠のTV番組に出演することになり、一気に

有名になったそう!

最後まで記事をお読み頂きありがとう

ございました。

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