アハマド・ジュデ(ダンサー)の経歴や家族は?タトゥーの意味は?

こんばんは!アザミです。

今日は、シリア出身のバレエダンサー

アハマド・ジュデさんの半生がドキュメンタリー

で取り上げられます。

難民キャンプで生まれたアハマド・ジュデさん。

激動の人生を歩みながらも、現在ダンサーと

して世界で活躍しています。

今回は、アハマド・ジュデ(ダンサー)の

経歴や家族は?タトゥーの意味は?

いうことをまとめています。

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アハマド・ジュデ(ダンサー)の経歴は?

シリア難民キャンプから、オランダ国立バレエの舞台へ

出典:https://www.cosmopolitan.com/jp/trends/society/interviews/a6202/ahmad-joudeh-dance-or-die/

パレスチナ難民キャンプで生まれ育った

アハマド・ジュデさん。

8歳の頃学校の発表会でバレエを見て、

その虜に!

しかし、大都市ではない難民キャンプでは、

バレエは女子がするもので、男子が踊るのは恥だ

という認識があり、こっそり踊っていたそう。

その後、16歳になった時にバレエのアカデミーに

合格。本格的に学び始めますが、父にばれて

木棒で強く殴れら、ダンスの衣装を燃やされ、

猛反対されます。

しかし反対されればされるほど情熱が強くなる

アハマド・ジュデさん。

一方で、応援してくれる母。

そして、父は、母と離婚し、家族と離れることを

決意。

一緒に家を出ると、働いて家庭を支えながら

学校に通います。

そんな中、2011年にはシリアで内戦が始まります。

戦争が始まり、住む場所、家族を失ったアハマド・

ジュデさん。

母は兄弟たちを連れて故郷に帰り、アハマド・

ジュデさんはダンスの試験を受けるために

シリアの首都ダマスカスに残ります。

その後、ダンスオーディション番組で

ファイナリストまで残るも、パレスチナ人で

国籍がないため、優勝に至らず。

ダンスのレッスンを続けるためダマスカスに戻り

戦争で家族を失った子どもたちにもダンスを教え

はじめます。

そんな時、オランダ人ジャーナリストが

たまたまアハマド・ジュデさんを見つけ、

フェイスブックに連絡が入ります。

アハマド・ジュデさんの人生のドキュメンタリーを

作りたいとの話で、シリアを訪れ、一緒に

ドキュメンタリーを撮影することに!

すると、そのドキュメンタリーを見た

オランダ国立バレエの芸術監督から声がかかり

アムステルダムでバレエを学べることに。

現在は、舞台で踊ったり、世界中の難民を支援する

イベントでダンスを披露したりと活躍しているん

です!

こちらの記事もいかがでしょうか?

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アハマド・ジュデ(ダンサー)の家族は?

戦争が始まり、家が破壊され、家族の

うち5人が殺害されたアハマド・ジュデさん。

その後、アハマド・ジュデさんのお母さんは

兄弟たちを連れて故郷に帰ったそう。

バレエで世界で活躍後も、母親に3日に

1回ほど電話をしたり、働いて金銭面で

サポートしているアハマド・ジュデさん。

バレエの練習で時間がなかったり、シリアでは

電気がいつも通っているわけではないので、

3日に1回ほどしか連絡できないそう。

父親とはヨーロッパで11年ぶりに再会し、

抱き合って喜んだというアハマド・ジュデさん。

アハマド・ジュデさんは現在30歳くらい。

結婚されているかどうか、調べてみたのですが

わかりませんでした(>_<)

また、分かり次第追記したいと思います。

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アハマド・ジュデ(ダンサー)のタトゥーの意味は?

アハマド・ジュデさんは、首の後ろにアラビア語で

タトゥーを入れています。

それは「Dance or Die(ダンスか、死か)」と

いう言葉だそう。

ある日、バレエの活動をしていることを知った

イスラム国が、フェイスブックから脅しの

メッセージを送ってきたり、電話で脅迫したり

しはじめてきたというアハマド・ジュデさん。

日本では、考えられないことですが、イスラム

国の目的の1つが、文化や歴史を破壊すること。

その脅迫の返答として、イスラム国がいつも

処刑の時に首を斬る部分に「Dance or Die

(ダンスか、死か)」というタトゥーを入れ

たそうです。

これは、アハマド・ジュデさんの人生のモットーで

もあるそうです(*^^*)

最後まで記事をお読み頂きありがとう

ございました。

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